オルゲの希望のリスト
喜びにはいろいろあるが
うまく釣り合っていないのがいい
皮膚にはいろいろあるが
はぎとられていないのがいい
話にはいろいろあるが
不可解なのがいい
忠告にはいろいろあるが
役に立たないのがいい
娘たちなら、新しいの
女たちなら、忠実でないの
男女性交快感極点
二人に同時に来ないのがいい
敵対関係は
左右両方にあるのがいい
滞在にはいろいろあるが
過ぎ去っていくのがいい
告別にはいろいろあるが
下でゆれうごくようなのがいい
芸術なら、金にならないの
教師なら、埋葬されるようなの
快楽にはいろいろあるが
口ではっきり言えるのがいい
目標にはいろいろあるが
つけたりなのがいい
敵なら、敏感な連中
友なら、子どもらしい連中
色はいろいろだが、赤がいい
伝言やメッセージなど
配達夫がいい
元素のなかでは、火
神々のなかでは、怪物
没落者にはいろいろあるが
賛美する人々がいい
一年春夏秋冬
十月がいい
生ならば、明るいの
死ならば、すばやいの
祭りの終わり [詩]
カーミラ
アルル
光明
ありがとう 69歳のお婆さんはとてもとても幸せで たくさんの愛に包まれて 100分の1の恋慕 1000分の1だってかまわない ショパンのノクターンで私の気持ちはどこまでもほどけていくのです しおんとの静かな何とも言えない静かな生活 新宿の片隅で去年頂いたバラたちがドライフラワーとなって幸せを思い出させてくれる
少女のような100分の1の恋慕
1000分の1だってかまわない
安らかに眠れ
安らかに眠ってくれと祈る
お婆さんの生活は時として単調だけれど
そこに一筋の光明が私を確かに微笑ませる
確かに
何もいらない
もう何もほしくないのです
独りが清々しくて
しおんと暮らすのが清々しくて
微かな微かな愛さえあれば
ありがとう
私69歳のお婆さんです
繰り返し繰り返される日常
100分の1の恋慕が
1000分の1の恋慕が
生きることへの強い意志と変わるのです
生きます
もう少し
しおんを残して逝けないから
泣くこともなく
怒ることもなく
人生の冬の真っただ中で
掌の上で溶ける雪のように
100分の1の恋慕
1000分の1の恋慕
それは
光明
だから私は
生きます
息します
わたしの春は
三月の始まり
気温10度の真夜中
ガスストーブを弱く点ける
春の始まり
しかし私の青い春はもう来ない
いくつの季節を経験したのだろう
68回
68回の春夏秋冬が巡った
確かな春を激しく生きた
恋愛も失恋も演劇も音楽も言葉も感情も激しく青くそれは確かな春だった
青かった 青さを武器にした 私は美しかった 柔らかかった しなやかだった
夏は汗と情熱に漲った
降り注ぐ太陽に抗った 負けることはなかった
熱さが私の背中を押した 強く逞しかった
精神が崩壊しても戦う情熱は炎のように燃えていた
美しかった 強かった 怖いものはなかった 熟れ切った果実だった
秋は静かに勉強した
少しだけ青い春と暑い夏を振り返りつつ新しい世界に静かに挑戦した
疲れということを少し意識した しかし鋼のように跳ね返す弾力は持っていた
春と夏とは違う世界で肉体は紅葉したがまだ枯れはしなかった
歳を重ねて大人になることを楽しんだ
そして冬
今こそ冬の季節
体は朽ち次の春はもう永遠に来ることはない
過ぎたのだから 過ごして来たのだから
後悔なぞ一つもしていない
春も夏も秋も精一杯生きたのだから
今できること 年老いた私に出来ること を 緩やかに考えている
気負いはない だが まだ為すべきことは少しだけ残っているような気がする
正直体はもうついてこない しかし頭は清明だ
気負うことはない
年老いた私 二度と来ない春
確実に待っているのは死
怖くはない いつでも受け入れる準備は出来ている
まだ為すべきことはある
年老いたからこそ出来る事
私の刃は今だ挑戦的だ
しおん
足元ので寝ている
私は68歳でもうすぐ69になる
しおんは2歳7か月
猫は一般的に15歳は生きる
私は後15年生きるのだろうか とても生きているとは思えない
しおんは人間は私にしかなついていないし他の人は一切受け入れない
しおんは私で私がしおんなのだ 二人で一人
うちに人が来たときはその時間どこかに隠れて絶対出てこない
人間で認めて心を許すのは私だけ
ああ 死ねない
しおんより先に死ねない
私が死んだらしおんはどうするだろう
きっと誰にもなつかないだろう
私がしおんでしおんは私だから
しおんを不幸せにするわけにはいかない
一人にするわけにはいかない
だからしおんが星になるまで私は死ぬわけにはいかないのだ
生きる意味がしおんを一人にしないというだけでも
それは一つの生きる意味かもしれない
だからしおんが星になるまで私は生きる
しおんを看取る
それが私の生きる意味だ
立派な意味だ
さんちゃん
三ちゃん あなたは今どこにいますか 良い風吹いてお花がいっぱい咲いてののやリリーもいて三人で仲良く遊んでいますか?
甘えん坊だったね 私にしがみつくのが大好きだったね
あなたに会いたい 抱きしめたい あなたの匂いを嗅ぎたい
三枚橋病院のデイケアで迷子になってたあなたと暮らしてたった12年であなたは星になってしまった
お外が大好きで跳ね回るのが大好きで美味しいお魚も一緒に食べたね 美味しかった
しおんが来てもいじわるしないで良いお兄さんになってくれたね
ゴールデン街で一緒に写真も撮ったね さすがにあなたはおびえてたけどあなたの写真は今でも店に飾ってあるよ 毎日眺めているよ ちょっとびっくりしておしっこちびったね ごめんね
大切な大切な12年間 いつも一緒に寝たね 気持ちよかったよ あなたのぬくもり 絶対忘れないから
最後の何か月かは11歳トロミにホタテの缶詰混ぜて抱っこしてご飯食べたね あなたは生きようと必死で食べた 頑張った
あなたは7月15日早朝押入れの布団の中で静かに息を引き取った その前の夜 私の布団に入ってきて隣で寝たね
ありがとうって言ってくれたの ありがとうって隣で寝てくれたの 嬉しかったよ
100万回のありがとうを私も言わせて下さい 100万回ありがとう 100万回ありがとう
あなたのお骨はダイニングテーブルの上で私を見つめています 優しい目をしているよ 私も優しい気持ちになるよ
でもあなたの魂は小さな肉体から解放されてとても気持ちの良い世界で自由にのびのびと遊んでいるんだろうね
待っててね 私も行くから また会えるよね 待っててね もうすぐだから
もう一度
100万回のありがとう 100万回のありがとう
記憶の始まり
太陽がまぶしかった。いつもの目線ではないから。都電の線路がぎらぎらと陽光に照らされて、おじいちゃんの肩車。高い。高い。世界が高い。身長80センチ程のの華奢な女の子が2メートルの世界を見渡している。おじいちゃんの背中は安心の場所。私の2本の足を温かくて無骨な手がしっかりと支えてくれていたから。私はその年期の入った無骨な腕に支えられ、その高い場所から信濃町の都電通りを空を滑るようにおじいちゃんに身をゆだねていた。見慣れた信濃町の景色がゆっさゆっさと眼下に揺れていた。それはおじいちゃんの歩調が私の体に伝わる感覚。おじいちゃんの息遣いと一つになる瞬間。右側が慶応病院で左側は蕎麦屋さんや荒物屋さんや小さな商店街が並んでいた。私は笑っていたと思う。おじいちゃんも笑っていたと思う。私は4歳ぐらいだろうか。おじいちゃんの禿げ頭に手を老いて笑っていたのだと思う。ぺんぺんと禿げ頭をたたいてアハハとのけ反って笑った。おじいちゃんもアハハと笑った。最初の記憶。最初の匂い。都電の線路道を歩きながら、おじいちゃんと私は信濃町の駅を目指していた。そこで省線を眺めるのだ。切符切りの車窓さんがいる小さな木造の駅だった。電車の色は多分茶色だったろう。ただ何十分も眺めていた。停車したり発車したり、まばらな人々が乗り降りしていた。それだけで楽しかった。大好きなおじいちゃんと一緒だったから。剥げて歯の抜けたおじいちゃんだった。 帰りに駅のそばの半畳ほどの駄菓子屋さんでアメリカの小さなガムを一粒買ってもらった。紙を剥くと英語で書かれたポパイの漫画が入っているガムだった。アメリカさんのチュウインガム。たった一粒のチュウインガム。甘い、香りのよい、歯ごたえのあるチュウインガム。よく噛んで舌の先で伸ばしてぷーっと息を吹き込むと大きく大きく膨らむチュウインガム。膨らんで膨らんでパチンと割れた。鼻とほっぺにくっついた。それがおかしくてまたアハハと笑った。
記憶にはないが、沢山のポパイの漫画を持っていたような気がするから、おじいちゃんの肩車は私たち二人の日常だったのだろう。至福の時だった。晴れ渡った清々しい初夏の思い出。
おじちゃんと私の秘密の時間。人通りの少ない信濃町の都電通りで二人だけの思い出は、どこまでも眩しかった。
毒舌婆
68歳になりました。
たくさんのお祝いメッセージを頂き本当にうれしい気持ちでいっぱいです。
心よりありがとうの言葉をお返しいたします。本当にありがとう。
でたらめバカのくそったれがよくここまで生きてきたもんだと自分のことながら他人事のようにびっくりしています。そうびっくりしているんです。68年ですよ。長いですね。長すぎます。
今必死で自分の人生の幕引きを考えています。もうそろそろ緞帳おろしても良いでしょう。問題は緞帳のおろし方。
ま、一応本も書いたし自分で最後と決めた芝居もしたしパンクバンドも決着つけたし私のミッションは終了したはずなのです。はずなのですよ。
残っているのはあと何年生きるか分かりませんが10年とちょっとでしょう。その位で打ち止めにしたい。
老人は疲れますからね。目も緑内障白内障だし心臓肺も苦しいし足は10年前に骨折しているのでちょっと歩くと痛いし何よりも老人性のうつですからね。もう笑っちゃいますよ。要するにボロボロなんです。
ぼろぼろでも死ぬまで這いつくばってでも生きねばなりませぬ。自殺はする気ありませんから。
でたらめバカのくそったれはでたらめバカのくそったれにふさわしい私らしい生き方を模索しています。
今更腰の低いまあるいばばあになる気はありません。そんなことすると自分の中にすとレス貯まって余計うつが酷くなります。
猫のように気ままに生きますよ。
毒吐いてね。悪態ついてね。
嫌われ新子の一生です。
多分それが一番私らしいと思っています。
わが まま