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クラクラ ブリジッド・フォンテーヌ 自動座

そういう時代もありました。
熱かった。みんな熱かった。
そして若かった。

1972年偶然ゴールデン街に遊びに行ってそこのママさんに隣の店空いてるよと言われじゃやると深く考えもせず自然に流れて創めたのがクラクラでした。坂口美千代さんのクラクラ日記から店名お借りしました。
どんどん流行って私の意志でなく流行って毎日満員で私もカウンターの上で裸で踊っちゃったりしてドーナツ盤でした。
映画関係では神代監督藤田監督カメラマンの姫田さん若い若い高橋伴明監督もいました。毎日熱く語り左翼って殴り合いでした。花園神社決闘場。
イラストレイターの黒田さん文人野坂さんコミマサさん中上さん渋いところでは中井さんすごい面子でした。
唯尼庵のきよ桂の中島べろんべろんでウオッカジンあおってました。みんな死んじゃった。
マツダ秋吉杜夫たこちゃんみんないたなあ。

そういう時代だったのです。
目撃してました。
そして男を二人変えました。
若いということです。

 

竹田賢一のプロデュースで渋谷の天さじでフォンテーヌ歌いました。
日本語で歌いました。
シンセ坂本龍一ドラムス土取さんベース近藤さんまだみんな無名でした。
寺山さんが螺旋階段で観てました。
洪水で水浸しの劇場でした。
早すぎるといわれました。アナーキーでした。歌詞が過激でした。
そんな時代でした。
若い時代でした。
私の20代でした。

 

自動座は今の時々自動の前身です。
なぜだか解りませんが朝比奈はこのことをあまり公表していません。
何十本も芝居をしました。
全部私が主役でした。
自慢話をしている訳ではありません。
事実です。
私は育ったし主演女優の体の張り方学びました。
新子は特別だから。
その頃の朝比奈の口癖でした。
よくある劇団の最後ですが男女関係どろどろになって終わりました。
そんな時代で若くて熱くてめちゃくちゃである意味何も見えてなかったのかもしれません。

いろいろいろいろありました。
そして何十年も経ちました。
みんな納まるところに納まって多分少しは大人になりました。

 

長く生きました。
当たり前のように若い時代がありました。
無鉄砲な若さでした。
たぶん楽しかったというよりは苦しかったのです。

苦しくて痛くて切なくてずたずたででもたのしかったのです。

そう青かったのです。

 

あおいはるでした。

 

 


サトウキビ

さとうきび
かじりたかったよ

教室は明るかった
それは理科の授業

安部先生はかわいい子から順番にサトウキビをかじらせた
成績のよい子から順番にサトウキビをかじらせた

甘くておいしいサトウキビなんでしょ

みんなにこにこしていたよ

教室の机が茶色くピカピカ光っていた

サトウキビかじりたかったよ

誰にも邪気はなかった  

私もニコニコしていたよ
だってサトウキビかじれるんだもん

甘い甘いサトウキビ
お日様の味がするサトウキビ

 

 

安部先生はわざとやったんだ

 

最後まで私にサトウキビは回ってこなかった

 

安部先生わざとやったんだ

 

私がそんなに憎かった
私をのけ者にしてうれしかった

 

私は知ってたよ

 

安部先生は私にだけサトウキビをかじらせてくれなかった

 

大人の悪意                                                        特権的悪意                                                      わかっていたから

 

だから私は友達の財布を盗んだよ

 

サトウキビかじらせてくれなかったから

 

そんなに憎いのならもっと嫌われてやろう

 

特権的悪意に私は復讐する                                            悪い子になってやる

 

友達の財布を盗んでやる                                            体育の時間に病気のふりして教室に残って金持ちの子の財布盗んでやる

 

 

サトウキビかじらせてくれなかったから

 

安部先生は私に対して犯罪を犯した
特権的犯罪
私をのけ者にして悪魔のように笑っている

たかがサトウキビだよ

 

でもあの甘いサトウキビ
私も一口かじりたかった

 

けど最後まで私にはくれなかった

 

わざとね

 

わかっていたよ

 

安部先生のわざと

 

何十年たってもあの悔しさは忘れない
死んだって忘れない

 

この日から可愛かったヒロコちゃんは

ヒロコちゃんは

ヒロコちゃんの心は

権威ある人間の底意地の悪さを

 

見てしまった

 

だから許さない人になった

 

権威でねじ伏せる人間を憎む

 

もう財布は盗まないけど

 

私の戦争を止めることはない

 

 

 

 


気持ちいい

お久しぶりでございます。生きとりました。のんびりと。

ま 細々としたことは日常に多々ありますが ライブが好きで 何ヶ月かに一回 ライブしてます。

気持ちいいこと。

この年になってやりたいことがたくさんあるのは良いことです。

新しいバンド作りたくなって 創って。

練習してます。

ワーワーやります。

泉邦宏君との自作の詩と音たちのセッションも最高です。

いつも終わってとても気持ちいい。

CD創ろうと思ってます。

聴いてて気持ちいいCD。

ガガーリンの復刻盤CD発売記念の新宿ロフトのライブも最高の盛り上がりで終わって。

気持ちいいです。

も一つ

秘密ですが本も一冊出すつもりです。

涙が出るほど嬉しい協力者も側にいてくださいます。

気持ちいいです。

来年1月多分私プロデュースの最後の芝居をします。

私の締めくくりの芝居です。

私の整理の芝居です。

やりたい事が次から次へと浮かんできます。

でも若い頃みたいのがつがつしてないから。

一つ一つがゆっくりです。

そういう時間が気持ちいい。

今日は気持ちいい涼しい夏の一日です。


したたかに生きる

したたかだぞ。

しぶといぞ。

私は特養老何か絶対に入らないぞ。

あの幼稚園児のような扱いは大嫌いだ。

猫なで声の介護士たちは大嫌いだ。

車いすでのラジオ体操。

お花紙で飾った薄汚い食堂できざみなんか死んでも食べないぞ。

古臭い民謡とかつまんない童謡とかハイみんなでお手手を打って歌いましょなんて絶対やらないぞ。

死ぬまで管理なんかされないぞ。

規律なんて大嫌い。

満月の真夜中が大好き。

ひとりが好き。

音のない世界が好き。

しかし私はいっぱいで私の中にはショパンのピアノ曲やヘンデルのソナタやバッハの組曲が爆音で流れている。

沈黙と孤独の責任を自分でとる。

ああ夜は素敵だ。

 


あ 生きられる

65歳の1日目が静かに終る。
空が白む。
もう起きたのだろうか。隣のうちからひっきりなしのくしゃみが聞こえる。

あとどのくらい生きるのだろう。

生きられる時間。

やり残したことが多すぎてでも少しづつ整理は出来て。

かっこいいばあさんになりたくて。
そのことを考えるとわくわくする。

もう髪の毛を白髪染めで染めることはしない。
早く真っ白になりたくて。

煙草はやめたがネオシーダ―を吸っている。
禁煙パイポも咥えている。

口唇依存。
おしゃぶりください。

白髪のばあさんがおしゃぶりを咥えている。

おしゃぶりください。

白髪のロングヘアーをなびかせてどこかの森で三太郎とじゃれあうのだ。

白いドレスを着てワルツを踊る。
少女のように。

確かに私の中には少女がいる。

歳をとればとるほど私は少女になる。

120歳のおしゃぶり咥えた老婆。

日がな一日文章を書く。
日がな一日三太郎を抱く。

外見はどんどん老婆になってこころはどんどん少女になって。

小さく小さくなってミーちゃんになって。
ひまわりの花に座っていたい。

花はいっぱい飾ろうね。
コーヒーがぶがぶ飲もうね。
お砂糖少し。

動物の命頂くのはやめて。

透明になって。
どこまでも透明になって。

あ 生きられる。


たった2枚の絵のように [私史]

信濃町の路面電車の線路は 陽に輝き ピカピカと眩しかった。
私はおじいちゃんに肩車して 駅に向かって歩いていた。
季節はいつだろう。初夏だったような気がする。
おじいちゃんのはげ頭に手を置いて 肩車心地よくゆらゆらと揺れていた。
陽炎がたった。
もう60年以上昔のことだ。
たぶん私は小学校にも行っていない。
4歳か5歳。
路面電車の線路だけがピカピカで 街は貧しかった。
おじいちゃんはげた履いて私を背負いとことこ歩く。
歯のない口でにこにこ笑っているのだろう。
職人だったおじいちゃん。
私の足をしっかり支える手ががっしりしていて心地よかった。
駅前の小さな小さなお菓子屋で ポパイの紙に包まれた チュウインガムを買ってもらった。
大きな風船ふくらませられるしっかりしたチュウインガムだった。
アメリカの味がした。
そこまでしか覚えていない。
幸せな一枚目の風景画。

 

2枚目の風景画はおじいちゃんの死だった。
四畳半の茶の間と八畳の客間の間の暗い六畳間に白い布を顔にかけて静かに眠っていた。
お客さん用のふわふわの布団の上に穏やかに眠っていた。
おばあちゃんと父と母と弟二人が布団の周りで死んだおじいちゃんを見守っていた。
病気で寝込んでいた記憶はない。
ある日突然死んだおじいちゃんがいた。
病院じゃなく長年暮らした家で静かに息を引き取ったのだろう。
そういう時代だった。
脱脂綿かガーゼでおじいちゃんの口に水を含ませた。
おじいちゃんの唇は柔らかかった。
私は死というものを受け入れたのだろうか。
たぶん受け入れたのだと思う。
幼心に。
通夜の記憶も葬式の記憶もない。
そこで記憶は途絶えている。

 

たった2枚の絵のような おじいちゃんの記憶。

おじいちゃんの優しい笑顔だけが今でも私の心に残っている。

もうすぐおじいちゃんに会えるね。

あの笑顔で待ってるね。

一緒にアメリカの味がするチュウインガム食べようね。


もうすぐ満開

去年は厄年かと思われるくらい、人との別れが多い年でありました。
若いころ視てもらった易者さんに50過ぎたら最高の人生になりますよと言われたのに、ちっとも最高にならず、当たり前のように親は死ぬし猫は死ぬし友は死ぬし、50から60まではこれでもかというくらい波乱万丈の10年でありました。

60過ぎたら少しは落ち着くかと思われましたが、いえただ静かな老後を迎えられると思われましたが、とんでもない。
隠居どころか何十年ぶりかにゴールデン街に戻って店をやることになりまして、いえこれも私の選択でありまして、人生、苦労する方へする方へ転がってゆく感じであります。
だって年金貰えるわけもなく、喰わしてくれる男がいるわけでもなく、一人でこの歳になっても自分を喰わせる為働かないわけにもいかず。

この4月で3周年を迎えますが、貯金取り崩して何とか維持しているようなわけで。

9月に芝居がありまして、これがなんとも納得ゆかず、5月ごろから稽古を始めてみましたが、演出と主演を頼んだ昔の男、正直言ってお眼鏡違い。
芝居台無しにしてくれはりました。
演劇学校の発表会ではありませんです。
酒に呑まれて芝居に本気で向き合ったとは思われず、連絡する気もありませぬ。
熱い夏は熱射病。外を歩けばふらふらで、冷房効いてる家の中これまた入れば、鳥肌ものの冷房病。
毎日点滴打ってやっと本番迎えた始末。
散々でありました。

おまけのように、いえ決しておまけではありません。私と長年一緒に暮らした猫さんのののちゃんリリ―ちゃんが7月に続けて死んでしまい、三太郎と私取り残され未だに涙も流せません。

同時進行で進んでいたガガーリンの80年代音源CD、最初に制作おねがいした制作会社、いえライブハウス、いえ私がお願いしたわけではありません。あちらが話に乗ってきたのです。
9月23日、発売記念ライブやる予定で進行していたはずでしたが、ろくにテープを聴いた様子もなくマスタリングに姿も現さず、仕方なく夜中に留守電入れ、朝の8時にマスタリング終わって一睡もせず家に帰ってきた途端、「おまえAKBかジャニーズか!」意味不明の怒鳴りこみの電話。
どう考えてもパワハラで、弁護士に訴えようかと思いました。
うつにはなるはふらふらで、何とか向こうにキャンセルと言わせました次第で。
2度と関わりたくない奴がもう一人出来ました。

心の支えは田口トモロヲ君でした。彼がいなかったら私は立ち直れなかったでしょう。
彼には感謝でいっぱいです。

10月ころから流れが変わり、店も毎日曜日ママ曜日マスターが入ってくれて、ほとんど直感で選んだスタッフですがみんな素敵な表現者で、私も楽になりお店もうまくまわりはじめました。
ガガ―リンのCD発売の件もテレグラフの地引さん、いぬん堂の石戸さん、快く気持ちよく制作進めていただいて、これに尽力してくれたのも田口君。
「だって新子祭りだから」
足を向けて寝られません。
おかげさまで3月9日新宿ロフトにてガガーリンCD発売記念ライブ、最高の盛り上がりで対バンのイキルやケラさんのガンビーズもすばらしく、生きてて良かった楽しい一夜になりました。

あともう一人、なんだかなあと言う感じで関係を断った人もおりまして、これはなんだかなあのままなので連絡する気もありません。
意味不明は意味不明のままです。

去年は本当に色々なことがありました。
たくさんの人と縁を切りました。
でも新たにたくさんの人と縁を結びました。

まだ誰にも言っておりませんが秋には芝居もたくらんでいます。静かな大人の芝居です。

今はとても元気。
何人かのお友達に顔色いいねと言われました。

詩人にもなりました。
これは言ったもん勝ち。
詩人と言えば詩人です。
4月2日ラストワルツで朗読と即興のセッションしました。
音色々は泉邦宏君です。
音と言葉が一つになり、ビリッとくる鳥肌立つような瞬間が何度かありました。

もう一人マルタ君。ラストワルツの店長であり新子の火曜日マスター。
彼が3月9日新宿ロフトを仮押さえしてくれたことにより全ての物事が進み始めました。
ありがとうです。
7月18日も言葉と音のセッションラストワルツ呼んでくれました。
ありがとうです。

いろいろいろいろおろおろおろおろありました。
でも今がよければたぶんよい。

まだ少しのどに小骨が刺さっておりますが、もうすぐ桜満開の春の今宵、私は幸せ者なのであります。

呑み屋のオーナーもやりますよ。
バンドも芝居もセッションもやりますよ。
詩も書きますよ。ルポも書きますよ。

さくら咲くもうすぐ65歳です。

はい棺桶は宝箱です。


3 てん 9

風は冷たかった
おなかに沁みた

わたしのエネルギーは噴射し光の中にいた

屹立していた
ここに起っているぞ
針金のようなからだで起っているぞ

 

鍵は鍵穴を探していた

 

遠くのどよめきの中で
貴方の湿った手が

 

わたしの手を握った

 

26年が必要だった
今だった
5年前でも10年前でもない



今だった

 

欲しかったのは安心

 


来た

 

安心

 

かちっと

鍵は鍵穴におさまり
その扉を音もなくあけた

 

だれにも分かりはしないだろう

 

鍵と鍵穴が一つになったこと

 

この

 

ここちよさ

 

ステージの上で
抱き合った

 

誰にもわかりはしない

 

 

意味

 

 

愛を超えた

 

映画館の暗闇の中で
最後の字幕を
今見終えた映画を反芻するように

 

爆音の中で
わたしは
わたしの26年間を

 

安心という静寂の中を

 

誰にもきづかれず漂っていた

 

3 てん 9


終わりの始まり

昔ガガーリンと言うバンドがありました。どうしてバンドをやることになったのか記憶はあいまいなままです。最初は不破君がおりました。不破君は幼少時北海道であの月に行ったと言われているガガーリンにだっこされたそうです。それでバンド名をガガーリンにしたのです。不破君にとっては素敵な思い出だったのでしょう。田口君と藤川君がおりました。田口君と藤川君と私と田口君がちょこっと詩を書いてサックス吹いたり歌ったり私もちょこっと詩のようなものを書いて唄ったりヴァイオリン弾いたりしておりました。藤川君がいろんな楽器でなんとなく曲っぽくしていたんでしたっけ。なぜ不破君がいなくなったのかよく覚えていません。気がついたらフェイドアウトしていたようにも思います。私と田口君がバカやりすぎて呆れてしまったのかもしれません。田口君も不破君も当時良く私が住んでいた高田の馬場のマンションでゴロゴロしていました。不破君がインスタントラーメン食べながら流しの下で寝っ転がっていたの覚えています。田口君は私の娘の寝ているベッドに無理やり潜り込もうとして私に怒られていました。不破君はもしかしてまだ10代だったのかもしれませんし田口君も20をちょこっと超えたぐらいだったような気がします。私が少しお姉さんでした。そう新子姐さんでした。田口君と藤川君と私は4年間ほどガガーリンをやっていたのだと思います。渋谷の発狂の夜というすさまじい名前のライブハウスもありました。他のメンバーは色々な人が入ったり変わったりしていました。なぜだか分りません。今の若者の70%以上が幸せだと思っているようにこれは昨日の朝生で知りました。私も私たちもたぶん幸せだったのだと思います。私はクラクラをやっていましたからそんなに貧乏ではなかったですがほかの人たちは貧乏だったような気がします。今だから言っちゃうけどよく万引きもしました。愉快犯ではなく貧乏だったからです。でも私の記憶の中にはみんながにこにこしている顔しか浮かんできません。その後私はテント芝居に入りましたがそこでは毎日反体制だの反天皇制だのと時には殴り合いまでして議論しておりましたし私も山谷に行ったり寿町に行ったりデモしたりして警官に蹴られたりしていましたがガガーリンのころはケンカもほとんどなくなぜかにこにこしている記憶しか残っていません。下呂吐いたりうんこしたり放送禁止用語を連発していましたがガガーリンはとても楽しかったのです。思想を口にはしませんでしたけれどアンチであることは確かでした。そして田口君がばちかぶりをはじめガガーリンはなんとなくフェードアウトしました。それからずいぶんたって不破君とはテント芝居や私の一人芝居の音楽なんかでいろんなことしました。そしてだんだん渋さ知らズが出来て行きました。田口君は映画で活躍し始め藤川君は葉山で海の家をやり私は演劇も少しはやっていたけれどカウンセラーと精神保健福祉士の国家資格をとったりして精神障害者が大好きでいろんな精神科クリニックや精神科病院で働いていました。名古屋に行ったり群馬に行ったり一時私はみんなから行方不明と思われていました。引っ越しのたんびにたくさんのゴミを捨てましたがなぜかカセットテープとVHSは捨てられず今でも山のように戸棚に入っています。たくさんの知り合いやもっと親しかった人たちが病気や自死であの世に行きました。たくさんの猫さんとも一緒に暮らし別れました。去年の7月は最悪でした。18日と30日にリリ―ちゃんとののちゃんがいっぺんに死んでしまったのですもの。ののちゃんは不破君たちが法政でやったルナパークミラージュと言う芝居の時どこかのゴミ捨て場から拾ってきた猫さんでした。それを私が引き取りました。もう17年か18年前のことです。ののとリリ―に関しては未だにきちんと喪の作業が出来ていません。骨壷が二つダイニングテーブルの上に置いてあります。どこかで何かのけじめをつけたら私はきちんと喪の作業が出来るのかもしれません。でもけじめをつけていません。つけられないのです。悲しみを回避しているのかもしれません。なぜガガーリンのCDを出すことになったのか。これにも確かな理由はありません。今までに何度かそういう話もありましたがいつも途中で立ち消えになりました。私の本棚から田口君の本棚から昔のガガーリンのカセットが偶然出てきて聴いてみたらそんなに劣化していなかったから。としか言いようがありません。私がなぜ演劇ばっかりやっているか今ではだいたいビデオに撮りますが基本一回やったらそれでおしまいであとかたもなくなってしまうのが好きなのだからかもしれません。私は64歳になりました。少しだけ過去に自分のやったことの痕跡を残してもいいかなと思ったのかもしれません。私は今ものすごく死を意識しています。いつも死のことを考えています。いえ決して私は自死はしません。でも長生きする気もないんです。やりたいことはまだいくつかあります。たくらんでいることもあります。たぶん今度のガガーリンのCD化もその一つだと思います。お棺に入れるものが一つ出来ました。もういくつかの物をお棺に入れるために私はもう少し生き延びようと思っています。そうしてささやかな生きた痕跡を残しておいてもいいかなと思っています。そんな終わりの始まりです。

魂が熱い ガガーリン 新宿ロフト

ガガーリン


「ガガーリン80年代ライブ音源初CD化記念LIBE----もう×××はしません!」

出演者

田口トモロヲ   VO  SAX
ひろ 新子    VO  VIL 
藤川 正雄    SYNTHE GE etc
佐藤 あつし   B
不破 大輔    B
みのすけ     DS


ゲスト
   ケラリーノ・サンドロビッチ
   イキル 谷口マルタ正明(Vo)伊藤義之(G) 伊藤真澄(Key) 渡邊    修也(B) 真保安一郎      (DS) 宮腰浩基(Sax)
   this is panic

日時 2012年3月9日(金)
   Open   18:00
Stert 19:00

料金  
  前売り 3000円   当日 3500円

※前売チケットは、
ぴあ
ローソン
e+
ロフト店頭 (新宿ロフト)
で2/5(日)より発売!

ゴールデン街5番街「新子」でも扱っております。

始めで最後かもしれない
観なかったら泣くぜ!

皆様のご来場をお待ちしています。

80年代のパンク魂見せます!

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